シラバス情報

科目授業名称(和文) Name of the subject/class (in Japanese)
江戸・東京の地形と歴史 (前期月3)
科目授業名称(英文) Name of the subject/class (in English)
Historical Geography of Edo-Tokyo Region (前期月3)
授業コード Class code
99KT20X
科目番号 Course number
L3HSHUM134

教員名
船引 彩子
Instructor

開講年度学期
2024年度前期
Year/Semester
曜日時限
月曜3限
Class hours

開講学科・専攻 Department
工学部(一般教養科目)、先進工学部(一般教養科目)

A course of liberal arts, the Faculty of Engineering
A course of liberal arts, the Faculty of Advanced Engineering
単位数 Course credit
2.0単位
授業の方法 Teaching method
講義

Lecture
外国語のみの科目(使用言語) Course in only foreign languages (languages)
-
授業の主な実施形態 Main class format
① [対面]対面授業/ [On-site] On-site class

概要 Description
徳川家康が1603年に江戸に開府してから、400年以上が経過した。本講義では、江戸に幕府が開かれるようになるまでの関東平野を取り巻く歴史や、その地形の成り立ち、災害について学び、大都市東京の将来を考える。
江戸東京は江戸時代初期には武士の影響力が強かったが、中後期には次第に民衆が力をつけ、近現代にはその傾向が一層強まる。近世の東京では、1867年に明治維新、1923年には関東大震災を経験し、その姿を大きく変化させてきた。戦後の高度経済成長期や1964年には東京オリンピック開催を契機に、周辺地域も巻き込んだ開発がすすめられ、バブル崩壊後は地価の下落とともに人口の都心回帰か起きている。また江戸や東京の歴史は、地震や火山噴火、洪水など、災害との戦いとその復興の歴史であった。
この講義では、自然地理・人文地理の両面から江戸東京の特徴を明らかにする。授業では実際の映像や写真、データの図表を多く取り入れて概説する。授業は講義を中心とする。基本的にパワーポイントを用いて授業を進める。授業の一環としてのフィールドワークを実施する。
目的 Objectives
東京の前身の江戸が成立してから、現在の東京になるまでの長い歴史の中で、江戸・東京の人々がそれぞれの時代でどのように自然環境を認識し、いかなる考えで町づくりをしてきたかを考察する。特に水運の発達が江戸の立地条件・発達要因として重要であり、東京においてもその利用が継続されたことに注目する。

到達目標 Outcomes
江戸東京の歴史をわかりやすく説明できるようになること、また江戸東京の歴史的展開や自然条件をふまえて、現代の東京に生起する現象について述べることができるようになることを目標とする。最終的に、自然と人間のかかわりを考察できる地理学的視点を養うことを目標とする。
卒業認定・学位授与の方針との関係(学部科目のみ)
リンク先の [評価項目と科目の対応一覧]から確認できます(学部対象)。
履修登録の際に参照ください。
​You can check this from “Correspondence table between grading items and subjects” by following the link(for departments).
https://www.tus.ac.jp/fd/ict_tusrubric/​​​
履修上の注意 Course notes prerequisites

今年度は第3回のみ、非同期オンライン授業となるため、LETUSで配信される映像を確認すること。

通常の授業は対面授業で行う。毎回授業日の24時までLETUSで質問やコメントを受けつける。
ゲスト講師による講演は遠方の場合、同期型オンライン授業となることがある。


アクティブ・ラーニング科目 Teaching type(Active Learning)
課題に対する作文 Essay/グループワーク Group work/プレゼンテーション Presentation/フィールドワーク Practice/Fieldwork
授業の後半に30分程度のディスカッションを行うことがある。キーワードが与えられるので、各自インターネット等で調べて発表する。
12〜15回目の講義はフィールドワークを行う。フィールドワークの事前課題と、現地で見聞きしたこと、GPSログなどをもってレポートを作成、提出する。フィールドワークの前には、少人数のグループワークを行い、課題について各グループで調べる。調べた結果はフィールドワークの現地で各班が発表する。必ず参加すること。

準備学習・復習 Preparation and review
とくに予備知識などは必要としないが、普段から江戸東京の歴史や自然について関心の幅を広げる努力を行うこと。各授業内容を鑑みて、基礎的な事項への理解が不足しているようであれば、授業内で紹介される参考書等から学んでおくことが望まれる(毎回1時間以上)。 授業でわからないことがあればLETUSを通じて質問すること。
 復習では授業内容を適宜整理するとともに、理解が不十分な点があれば授業中に適宜案内する参考書や資料等を活用して、理解不足のまま次の授業に進まないようにする。なお、上記に示した授業以外の学習は60時間以上を目安に行うこと。
成績評価方法 Performance grading policy
1.授業中に随時レポートを課す。
2.評価は東京理科大学成績評価基準に準拠する。
3.積極的に参加している受講生(授業中の態度等)に対しては、努力点を加点する用意がある。
学修成果の評価 Evaluation of academic achievement
・S:到達目標を十分に達成し、極めて優秀な成果を収めている
・A:到達目標を十分に達成している
・B:到達目標を達成している
・C:到達目標を最低限達成している
・D:到達目標を達成していない
・-:学修成果の評価を判断する要件を欠格している

・S:Achieved outcomes, excellent result
・A:Achieved outcomes, good result
・B:Achieved outcomes
・C:Minimally achieved outcomes
・D:Did not achieve outcomes
・-:Failed to meet even the minimal requirements for evaluation

教科書 Textbooks/Readings
教科書の使用有無(有=Y , 無=N) Textbook used(Y for yes, N for no)
N
書誌情報 Bibliographic information
-
MyKiTSのURL(教科書販売サイト) URL for MyKiTS(textbook sales site)
教科書および一部の参考書は、MyKiTS (教科書販売サイト) から検索・購入可能です。
https://mirai.kinokuniya.co.jp/tokyorika/​​​

It is possible to search for and purchase textbooks and certain reference materials at MyKiTS (online textbook store).
​​https://mirai.kinokuniya.co.jp/tokyorika/

参考書・その他資料 Reference and other materials

授業計画 Class plan

1.    関東平野の地形

東京都の23区と多摩郡は関東平野の南部にあたり、その南東側は東京湾に接している。また西側一帯は関東山地につながる。東部には東京低地、南部の多摩川沿いには多摩川低地が延び、これらに挟まれるように武蔵野台地が広がる。そして、南西部の多摩丘陵、北部の狭山丘陵などが広がり、関東山地へと至る。本授業では、これらの地形が地球の歴史の中でどのように形成されたのか、都市開発にどのような影響をもたらしたのか、様々な角度から検証する。

2.    古代の関東平野

東京には、旧石器時代から人々が暮らした痕跡が残っている。温暖な気候に恵まれた縄文時代には、台地・丘陵部に多くの集落が営まれた。紀元前後には水稲耕作が西日本からもたらされ、計画的な農業生産が暮らしの基礎となり、豪族が現れるようになる。東京都内の古墳は200か所以上で確認されており、ほとんどが武蔵野台地の縁辺や多摩丘陵に営まれている。また東京低地上の微高地にも古墳が存在しており、海に面した河川の流入ともあいまって多方面から文化がもたらされてことが示唆される。
7世紀後半には古代武蔵国が成立し、武蔵野台地の南端に国府が置かれた。上野台地から隅田川河畔に至る地域も武蔵国に包摂され、隅田川・荒川(古利根川)の河川交通を介して武蔵国北部とつながり、日比谷入江という東京湾の湊の機能を擁することになった。江戸のルーツとなる江戸郷はこの地域に成立することになる。
本授業では中世までの気候変化とともに、人々の生活の舞台が変わっていく様子や、江戸が首都として選ばれるようになった背景について学習する。

3.    中世の関東平野

10世紀以降、桓武平氏を祖とする秩父兵士の一族が北武蔵から古利根川を南に流下して勢力を拡大した。11世紀までに北武蔵に成立した中小の武士団は国府の役人となり、軍事力として編成されるようになった。武蔵北部の大領主、河越氏・畠山氏らは多摩川流域の小山田氏、稲毛氏、榛(はん)谷(かや)氏などを武蔵野台地の南部や府中方面へ分立・展開させた。また豊島氏、江戸氏、葛西氏らは台地東端から東京低地へと分立・展開する。これらは「東京」を構成する地名=郡郷名とともにある武士団である。日本で初めての武家政権である鎌倉幕府では、これら「東京」の武士たちの多くが従い、活躍した。
 15世紀末に台頭した小田原北条氏は、関東南部一帯を支配する有力な戦国大名となり、支城を中心に「領」という支配単位を設定する。東京には滝山領、三田領、世田谷領などが存在し、江戸城を中心とする領は「江戸廻」と呼ばれ、近世江戸の領域の呼び方の前提となった。
 本授業ではこれら武士団の動きと勢力拡大について、関東平野の地形条件から考える。

4.    「のぼうの城」利根川の水攻め

中世の関東平野については武士団の構成が非常に複雑で理解が困難である。当時の状況をイメージとして把握するため、2回にわたり映画「のぼうの城」を視聴する。
 天下統一目前の豊臣秀吉は、関東最大の勢力北条氏の小田原城を攻略せんとしていた(小田原征伐)。豊臣側に抵抗するべく、北条氏政は関東各地の支城の城主に籠城に参加するよう通達した。「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」秀吉にそう命じられ、石田三成は大軍勢を率いて忍城に迫る。三成は、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定する。総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設し、忍城と城下本丸を除いて水に沈む。

5.    「のぼうの城」利根川の水攻め 2回目

映画「のぼうの城」の続きを視聴し、感想文を提出して、それぞれの考え方を発表する。
石田三成の水攻めに対する押条城主・成田長親の策は、城を囲む湖に船を出して、敵兵の前で田楽踊りを披露することであった。三成の指示で雑賀衆が田楽踊りを踊る長親を狙撃するが、長親は一命を取り留める。その後、城に入らず場外で堤作りに雇われていた百姓らも長親が撃たれたことの怒りから石田堤を壊す者が現れ、ついには水攻めが失敗する。水が引き、三成軍が総攻撃を行おうとする矢先、小田原城が落城したとの知らせが成田勢にももたらされ、忍城も開城する。小田原城落城時までもちこたえた支城は忍城だけだった。

6.    家康の江戸開発 

織田・豊臣政権による全国統一と平和の実現を基礎に、武士の頂点として政権を掌握した徳川氏は、17世紀初頭に江戸幕府を開く。徳川家康は江戸城下町の建設にあたり、道三堀を開削して湊と入江を結ぶ交通路を確保し、小名木川を開削して物資の流通を促した。さらに多くの掘割運河や橋が建設され、神田上水・玉川上水は都市住民の飲料水を賄い、周辺の国々から燃料として薪が運ばれた。また、利根川東遷な・荒川西遷などの大規模な河川改修も行われた。
 本授業では、江戸の都市景観を個性づけた、これらの都市インフラについて学ぶ。

7.    拡張する江戸

1657(明暦3)年に発生した明暦の大火は焼死者10万人ともいわれる大惨事となり、江戸市中の大半を焼き尽くした。その後の復旧工事により江戸の都市空間は大きく拡充整備される。築地が造成され、本所や深川の低湿地の干拓、堀川の整備、内陸舟運の整備がすすめられた。
また17世紀の後半には日本全国を結ぶ市場が成立し、江戸は大阪と並ぶ物流センターとなり、商人や職人などを中心とする都市社会は巨大城下町を成立させていく。本授業では、拡大する江戸と諸国の関係にも注意しながら、この時代の江戸が果たした役割について考える。

8.    江戸の災害 

巨大城下町となった江戸は、多くの災害にもみまわれた。1707(宝永4)年には富士山が噴火し、江戸の町に数㎝以上の降灰があった。18世紀には小氷期気候の中、干ばつや浅間山の噴火による飢饉を迎え、全国的な打ちこわしが起こり、江戸の町も大きな被害を受けた。1855年に発生した安政地震は死者4200人、負傷者2700人の犠牲を出し、特に町人地において多くの倒壊家屋が見られた。また、海外から持ち込まれたコレラ、麻疹や天然痘、赤痢など多くの流行病も都市住民に大きな影響を及ぼした。本授業では、江戸を襲った災害とその影響について、自然条件や社会的背景を踏まえて考える。

9.    明治維新 

明治維新によって、新政府は列島において最もインフラ整備が進んだ都市江戸を無傷で手に入れ、ここをあらためて首都東京とした。江戸は長く政治の中心であったが、明治維新後の日本は中央集権国家となったため、東京は首都としての重みが一層高まった。東京への一極集中が始まる契機は明治といえる。東京では人口の大半を占めていた武士が各藩に帰り、労働者が流入して急激な人口増加にみまわれる。さらに第一次世界大戦は日本の工業化を進め、東京市の周辺に工業地帯が形成され、サラリーマン世帯からなる中間層が登場する。
 本授業では、都市の拡大を地図上で確認しながら、このような東京の変化について考える。

10.    関東大震災 

1923(大正12)年、相模湾の海底を震源地とする地震が発生し、関東全域に大きな被害をもたらした。地震によって発生した火災により、東京市内の約60%の家屋が罹災し、死者・行方不明者は6万人以上に及んだ。
 震災後の復興事業では昭和通り、大正通り(現靖国通り)、明治通りなどの主要幹線道路がつくられ、大規模な区画整理、上下水道・ガスなどのインフラ整備も行われた。さらに人々の生活空間や敬愛空間も人口密集地域から郊外に立地移動し、東京西郊の武蔵野台地は鉄道網の整備と相まって、住宅地化がすすめられた。
 本授業では、このような大都市圏東京の拡大について、具体的な例を挙げながら説明する。

11.    高度経済成長期以降 

1950年の朝鮮戦争による特需で不況を脱した日本では、1955年から実質経済成長率が10%を超える高度経済成長期が20年以上続き、農業国から工業国へと転換する。1964年に開催された東京オリンピックを契機に、新幹線や道路の建設が進んだ。都市部への人口や資本の集中は地方の過疎を促した。1972年に発足した田中角栄内閣は『日本列島改造論』に基づき、地方への工場分散や交通ネットワークにより、過疎問題に対処しようとした。
 関東大震災以降、郊外化の進んだ東京にはニュータウンが多く建設されたが、バブル崩壊後の1990年第後半には地価が下落、都心部から東京湾岸にかけての再開発地区には大規模なマンションが建設され、人口の都心回帰が見られるようになった。製造業の工場は都心とその周辺で著しく減少し、成長するIT産業、法律、会計、マーケティングなどの対事業所サービスが都心部に集中する傾向がみられる。またバブル経済期以降、円高や入管法改正によって日本で働く外国人が増え、観光産業も発達している。
 本授業ではこのような東京の新たな変化に焦点を当て、将来の東京像を考える。

12&13. フィールドワーク1
授業で扱った内容を参考に、東京都内の現地見学を行う。

14&15 フィールドワーク2
授業で扱った内容を参考に、東京都内の現地見学を行う。



授業担当者の実務経験 Work experience of the instructor of the class
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教育用ソフトウェア Educational software
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備考 Remarks

授業でのBYOD PCの利用有無 Whether or not students may use BYOD PCs in class
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授業での仮想PCの利用有無 Whether or not students may use a virtual PC in class
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